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zoom RSS 八月の長い一日(前編)

<<   作成日時 : 2008/09/22 22:13   >>

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父が亡くなってから今日で四週間が過ぎた。この間ずっと、父が亡くなった日のことを書いて、気持ちに一区切り付けないことには、この日記を続けられない気持ちでいた。

それは全く突然のことだった。父が亡くなったのは8月26日(火)午前3時1分のこと。2日前の24日は、妹夫婦の車で母と一緒にわらび座のミュージカル「奥の細道」を見に行っていた。前日の25日は、日課になっている整骨院に自ら車を運転して出掛けたあと、母の踊りのため、コミュニティセンターに車で送り迎えもしていたそうだ。夜は普通にテレビドラマを見て、11時頃就寝したという。

私は、その日、帰宅時間が遅かったので、父に会わずに二階の部屋で食事をし、そのまま休んだ。その日の夜はなかなか寝付けなかった。午前2時少し前だったろうか。突然母が二階に駆け上がってきた。「父さんの様子が変だー、早く来てけれ〜」と叫んでいた。慌てて、一階の両親の部屋に駆けつけると、ベッドの上でぐったりとしている父の姿があった。呼吸も脈もほとんど感じられない。

すぐに119番に電話をした。電話先から症状、既往症などを尋ねられたあと、人工呼吸と心臓マッサージは出来ますかと聞かれた。咄嗟に出来ないと答えたが、電話で指示するので、とりあえずベッドから床に下ろしてくださいと言われた。ベッドの上だと柔らかくて心臓マッサージが効かないのだそうだ。父の身体は重くてなかなか持ち上がらない。妻を呼んで、電話を代わってもらった。妻は介護の仕事をしているだけあって、人工呼吸も心臓マッサージも出来るという。母に手伝ってもらい、父をベッドから下ろし、妻に心臓マッサージをお願いする。

それから救急車が到着するまで10分近くかかっただろうか。その時間の何と長かったこと。救急車には母が乗り込み、妻が車で後を追った。僕は、寝たきりの祖母が居るので、一人家で留守番をした。それから30分くらいたって、妻から電話があった。「お父さん、駄目だった。」と妻は電話で話していた。頭の中が真っ白になって、何のことか訳がわからなかった。妻に家に帰ってきてもらい、代わりに僕が病院に向かった。病院で父の姿を見ても、今にも起き上がりそうな感覚がして、なかなか死という現実が受け入れられない。

思えば、父は病気の百貨店のような人だった。ちょうど、僕が自治大に行っていたときなので11年前のことになるだろうか。心臓病で成人病医療センターに入院した。このときは、僕に心配をかけまいと、卒業するまで連絡がなかった。コブシから桜に季節が移り変わるときで、病院から千秋公園の花が良く見えた。今思えば、このときの病気が進行していたのだと思う。

脳梗塞になったのは、僕がチュニジアに海外出張に行く直前のことだった。このときは、脳血管研究センターの医師から、血管がボロボロで、いつ破裂してもおかしくないと言われた。一時的に嚥下能力がなくなり、後遺症が心配されたが、2ヶ月ほどで回復し、リハビリセンターで機能訓練をして後遺症もなく無事退院した。

秋田日赤病院では、白内障の手術をしてからまもなく網膜はく離の手術もした。秋田市立病院では、前立腺がんのホルモン治療も行った。腰を痛めて、椎間板ヘルニアにもなった。そのつど、奇跡的な復活を果たしてきた父だったので、まさか、こんなにあっけなく逝ってしまうなんて、とても信じられることではなかった。

82歳という年齢は十分に長生きした方だと思う。しかも、周りに迷惑をかけず、自宅で寝ているときに亡くなるという、理想的な死に方だった。それがせめてもの救いかもしれない。しかし、身内の死を受け入れるためには、もう少し心の準備が必要だ。なぜ、こんなにもあっけなかったのだろうと、どうしても思ってしまう。(続く)
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